境内案内
仁王門(京都府指定文化財) | 天明3年(1783)に再建に取りかかり、翌年(天明4年、1784)上棟。寛政8年(1796)年に瓦葺工事を行いました。全体的に和様と禅宗様を折衷したものです。初層には室町時代の仁王像、上層には十六羅漢像を祀ります。ケヤキ造りの二階二重門です。 嵐山渡月橋からまっすぐ北にさかのぼり、左手に大本山天龍寺を見、JR嵯峨野線を越え、しばらく行くと清凉寺の仁王門に至ります。嵯峨野のちょうど真ん中に位置し、すくっと立つ姿は「嵯峨野の顔」とも称されます。 |
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本堂(釈迦堂) (京都府指定文化財) | 「釈迦堂」は、清凉寺本尊三国伝来生身釈迦如来像(国宝)を安置する本堂です。寛永14年の嵯峨大火により諸堂宇が消失しましたが、徳川五代将軍綱吉・生母桂昌院の発願、住友吉左衛門の援助により元禄7年(1694)から修理に取りかかり、同14年(1701)年に上棟。同16年に鎮壇、遷仏供養を行いました。桁行・梁間7間、一重入母屋造、本瓦葺で、和様と禅宗様を折衷、本山級の風格を備えます。内内陣の宮殿厨子は、五代将軍徳川綱吉と生母桂昌院の寄進による豪華なものです。宮殿裏には、古カン(石ヘンに間)筆による「釈迦堂縁起」の一部を拡大した大壁画があります。また本堂正面楣上には黄檗隠元禅師筆による「栴檀瑞像(せんだんずいぞう)」の大額が掛っています。 | |
本堂北 渡り廊下からみた弁天堂 | 弁天堂は本堂のうしろの池に面して建っています。この写真では弁天堂が渡り廊下の窓の間から「額縁の絵」のように見えます。弁天堂は、正面柱間三間、屋根宝形造で、正面に軒唐破風が付いています。建築年代は江戸末期ごろと推定されます。弁天堂のまわりは、池遊式庭園になっています。 | |
弁天堂西 川中島 | 弁天堂西、川中島のもみじです。美しく色づいています。 | |
大方丈と庭園 | 旧大方丈は、寛永14年(1637)に消失し、現在のものは享保年間(1716-1735)の造営と伝えられます。寛永14年の類焼以前のものは六つで早世した徳川家康の息女一照院の位牌所として、家康および実母のおちかの方の寄進になるものです。方丈前の庭は、ところどころに石を置いた枯山水の平庭で、小堀遠州作と伝えます。 | |
霊宝館 | 清凉寺の東の駐車場の傍にある宝物館です。源氏物語の光源氏のモデル源融(みなもとのとおる)の供養のために造られた旧棲霞寺本尊阿弥陀三尊像など、国宝や重要文化財が収蔵されています。阿弥陀如来像(国宝)は、「光源氏移し顔」とも。 霊宝館は、4月・5月と、10月・11月に特別公開されます。 |
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本堂東側から仁王門を望む | 本堂東側から仁王門を見たところです。本堂の屋根のきれいな傾斜の向こうに、仁王門が見えます。 | |
狂言堂 | 境内西に位置する狂言堂です。春と秋には、嵯峨大念仏狂言保存会の皆さんにより、嵯峨大念仏狂言が演じられます。嵯峨大念仏狂言は、壬生狂言と同じく円覚上人が創始されたものといわれます。 | |
阿弥陀堂 | 本堂東に位置する阿弥陀堂です。嵯峨天皇の皇子左大臣源融が山荘・棲霞観(せいかかん)を建て、後に棲霞寺と改めましたが、これが阿弥陀堂の始まりです。 | |
阿弥陀堂前の白梅 | 阿弥陀堂前の雪のような八重の白梅です。 |